包茎の症状について
1800年代初頭に有名だった作家ピゴー・ルブランやデュクレー・デュミニルの書いた、淫猥でくだらない小説をよく読み、娘たちに読んでいた小説の登場人物の名をつけ、おめかしさせて、荷馬車にぶらさがった大きい鎖でできたブランコで遊ばせていた。しかし、息子のガヴローシュが泣き続けても、彼女は「くさくさしちまう」と言って放置し続けた。
実はガヴローシュの弟をふたり産んでいるが、手持ち無沙汰であったため、1823年、パリ在住の悪女マニョンに月10フラン[10]の貸賃で息子たちを売った。
その後、夫や子供たちとともにパリに移住。娘たちには愛情を注いでいたが、夫への愛情は冷めていった。ゴルボー屋敷での一件で夫や娘たちとともにジャヴェールに逮捕され、みじめな最期を迎えることとなる。
ゴルボー屋敷待ち伏せ事件では、男たちが次々と降参する中、最後までジャヴェールに抵抗した。が、結局、先に逮捕されたふたりの娘の身の上を嘆きながら、夫と一緒に逮捕される。サディズムの語源となったサド侯爵も収監されたサン・ラザール監獄にて、予審中に獄死した。
エポニーヌ (Eponine)
テナルディエの長女。フルネームは、エポニーヌ・テナルディエ(Eponine Thenardier)。エポニーヌはユリウス・サビヌスの妻の名、エポニーナ(Eponina)のフランス語形で、女神エポナに由来する。
テナルディエ一家のなかで唯一フルネームが紹介されている、栗色の髪の毛の少女。1815年の終わりに生まれたので、コゼットとは同い年である。母親の寵愛を受けて育ち、コゼットを軽蔑した。幼い頃はきちんと教育も受け、村娘ではなく町娘と思われるほど綺麗な格好をしていたので愛らしかった。貧民としてパリに移り住んでからは、父親の悪事を手伝い何とか生きている。
1832年2月2日の夕刻、妹アゼルマと一緒に警察から「ヅラかっている」最中に落とした手紙がきっかけでマリユスと知り合う。マリユスに恋心を抱くが、そのときすでに彼の目はコゼットに向けられていた。それでも彼女は、マリユスの恋の相手がかつて女中であったコゼットとは知らないまま、マリユスのために影となり、彼の恋の成就を手助けしたり、彼の知り合いの世話をしたりする。一度はプリュメ通りの家でコゼットとマリユスが会っていたときにテナルディエとパトロン=ミネットの4人の頭とブリュジョンが押し入ろうとしたところを命がけで守ったこともあった。
それらはすべてマリユスの笑顔が見たかったからなのであるが、その気持ちに気づかないマリユスは、彼女に笑顔を見せると約束していてもその約束などすっかり忘れ、笑うかわりに5フランを与えた。しかしそんなことがあっても決して彼への気持ちはさめなかった。その過程で、かつては口にしていた隠語も喋らなくなり、みずぼらしい身なりをしていても美しく見えるようになっていく。
マリユスの身を危険から守るため、
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に参加する。
ヴァルジャンに「出て行け」と書かれた手紙を投げ込んだ謎の人物の正体は彼女である。彼女は作業服を盗み、男装して、プリュメ通りに現れたのだ。マリユスに六月暴動への参加を促し、ロマルメ通りでコゼットからマリユスあての手紙を受け取ったのも、バリケードにすべりこんだマリユスを1発の銃弾から護るために身を挺したのも、すべて彼女であった。
彼女がマリユスを暴動に誘い出した背景には、「現世で結ばれないなら、同じ場所で死にたい」という、マリユスを愛する彼女のいじらしさが現れている。コゼットからの手紙をマリユスに渡したのも、彼の前では「行いの悪い貧乏人」ではなく、愛する人をあざむかない「純粋な女」であり続けたかったからであろう。
彼女の手のひらと胸を貫通した銃弾は致命傷となり、1832年6月5日の夜、最期のときに自分の思いを打ち明け、マリユスに看取られながら、本望のままこの世を去る。約束通りマリユスに自分の額に接吻してもらった。16歳という若さだった。
アゼルマ (Azelma)
テナルディエの次女。褐色の髪の毛の少女。母親に「ギュルナール」(Gulnare)と名づけられてそうになっていた。エポニーヌと共に母親から溺愛され、姉や母と同様にコゼットを見下した。
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で身を持ち崩した彼女は、姉と一緒に父親の悪事を手伝っていた。ヴァルジャンが家を訪れる前、窓ガラスに片手を突っ込まされて大怪我をしたこともある。が、その数時間後に発生したゴルボー屋敷待ち伏せ事件で、最初に逮捕される。
のちに逮捕されたエポニーヌと一緒にマドロンネット監獄に収容され、証拠不十分として釈放された後、どう生きてきたか詳細は知られていない。が、身を焦がす恋愛をしていない彼女は悪の道に走っていたことだけは確かで、低俗な隠語を喋り、父にもぞんざいな口をきいていた。1833年のマルディ・グラ限定で警察の下司女(下級女役人)として働かされていた。
マルディ・グラの時、顔に黒いヴェールを身につけた下品な少女として登場。父の依頼を嫌々ながら引き受け、コゼットとマリユスの婚礼馬車の後をつけることになる。その後の詳細はテナルディエの項を参照のこと。
ガヴローシュ (Gavroche)
パリの路上でたくましく生活する典型的な浮浪児。色白で、
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そうだったが、陽気な性格でいつも歌を歌ったり、はしゃいだり、たえず人をからかったりしている。しかし、同時にこの上もなく暗くうつろな心を抱いている。
1820年の冬にテナルディエの長男として生まれる。エポニーヌとアゼルマの実弟だが、両親(とくに母親)に愛されず放置された。しかし彼はそのことを特には気にしていないらしい。というのも、別に誰も恨んではいなかったし、親とはいかなるものかを理解していなかったのだ。それでもやはり親が恋しかったのであろう、父親の脱獄に手を貸したときには父親が自分に気がついてくれるのを期待してか、しばらくそばの石に腰を下ろしていた。が、目もくれなかったため彼はそのまま立ち去って行った。
そんな親の愛を知らない哀れな子供ゆえ、
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とパリへ出てからはバスティーユ広場の巨大な象の建造物の腹の中が彼の住処となり、日の明るいうちは路上で過ごすようになる。三ヶ月に一度くらいは家に帰ってくるのだが、歓迎されずにいるため、またもとの
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へと戻っていく。だが、ゴルボー屋敷待ち伏せ事件で、帰る家とそこにいるはずの家族をなくしてしまった。
冬でも麻のズボンをはき、大人物のどたどたと音のする靴を履いている。まったく大人を怖がらず、モンパルナッスをはじめとするさまざまな悪党や、ABCの友のメンバーたちと付き合っている。役者の知り合いもいて、姉のエポニーヌに芝居の切符をあげたりしている。ナヴェ(Navet)という浮浪児仲間もいる。
歌のレパートリーは幅広く、ラ・マルセイエーズ、流行のシャンソン、彼が作詞した即興替え歌、まったくのオリジナルなどをいつも歌っている。タンプル大通り界隈の大人たちからは「プティ・ガヴローシュ」(Petit Gavroche。小僧ガヴローシュ)と呼ばれ、邪険に扱われる。
ガヴローシュという名前は本当の名前ではなく、彼の父親が偽の名前を使っていたのをまねして「ガヴローシュ」と妙な名を名のっている。ユーゴーはこのことを「何らかの理由で素性を隠すため、本名を断ち切ってしまうのが惨めな家族の本能みたいなものである」と語っている。
一度床屋に施しものをねだっていた幼い7歳と5歳の兄弟に白パンをおごってやり、自分の住処に泊まらせてやったのだが、実はその兄弟は自分の弟たちであった。結局、彼らはお互いにそのことを知らないまま別れてしまった。
1832年の六月暴動に参加する。
実はマリユスはガヴローシュを救おうとしていたのである。マリユスがエポニーヌから
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を受け取った後の6月5日12時頃、自分の父を結果的に救ったテナルディエの息子ガヴローシュを救うため、コゼット宛に書いた手紙をガヴローシュに持たせ、すぐにバリケードから出て、翌朝コゼットに届けるよう指示する。しかし、最後まで戦いたいガヴローシュは手紙をさっさと届けることにし、ロマルメ通りでたまたま出くわしたジャン・ヴァルジャンに手紙を厄介払いした後、田舎者から荷車を盗んだり、軍曹といざこざを起こしたりなど、好き勝手にやって、戻って来てしまう。
そして、1832年6月6日、「この防塞には10個ばかりの弾薬しか残らないだろう」というアンジョルラスのその言葉を聞いたガヴローシュは、カゴを手に、敵側が落とした弾丸を拾うために散弾が飛び交う中を
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の上を動き回った。初めはその小さい体と、霧のようにたなびいている硝煙のおかげで、敵に見つかることなく通りのかなり向こうまで進むことができたが、進みすぎてしまい、敵の格好の標的にされてしまう。しかし彼は少しもひるまず、帰ってこようとしなかった。
当時ひそかに流行していたシャンソンの替え歌のルソーやヴォルテールを愚弄する歌をうたい、敵の銃弾から華麗に身をかわしながらまるでギャマン[11]の妖精のように弾を拾っていたが、途中で2発の銃弾を受けてしまう。1発目では何とか起き上がり、両手を高々と上げて、また歌を歌い始めたのだが、歌が終わらぬうちに、2発目を受け、バリケードの上で絶命。まだ12歳であった。
彼が助けた実の弟たちは、浮浪児としてたくましく生きていくようになる。